明るい未来が見えない時。

今回はアメリカの章。
まず飛行機嫌いやから長時間乗るの毎回しんど
い+ヘルニアで座ってられへんからかなりしん
どいのが割と見えない苦労。時差ぼけも結構
感じるんやけど、それは流石に治し方もわかっ
てきたから耐えてる。
まず、空港着いて監督とNice to meet you,
そこから何も聞き取れへんかった、アメリカン
イングリッシュすごいわ。早すぎて聞こえへん
し、今思い返せば日本の保険はどれくらいお金
を出してくれるんだ?とか難しい質問されてる
俺らが日本に来てる外国人に
「心理学について語ろう…会話する時に左下
を向く時はなにかを隠している可能性が…」
って話さんやろ。ここでカルチャーショックに
よる斬撃でノックアウト。もう少し優しい会話
をしてほしかった山下が居た。
そして卓球場に着くと土足制で、コニヨールと
いうメーカー。おそらくほとんどの人は見た事
がないだろう。ビッパ二匹で殿堂入りするくら
い珍しいものなのだ(?)

アメリカで週7で練習しつつ、英語が出来ない
のにコーチングなどもたまにしていた。アメリ
カにはあまり試合がなかったので、それで生活
費を稼いでいたのだ。
最初の方は日本円で言うと月17万円くらいで生
活していた。アメリカで17万というと非常に苦
しかったが、自炊で耐え凌いでいたので相当
痩せた。アメリカで痩せるってめっちゃむずい
のにな。でも僕のレベルで卓球を続けるって
そういうこと。卓球以外のほとんど全てを犠牲
にすることだ。
途中で、コミュニケーションも出来るようにな
り、この生活にも慣れてきたのに非常に心が
苦しくなって、毎日死ぬほど時間の流れが遅く
て何をするにもやる気がなくなってしまった
期間がきた。未来が見えず、このまま卓球をし
ていて大丈夫なのか、このまま月17万円で生き
ていけるのか、ここを耐えれば明るい未来が
見えるのか。とおそらく人生で1番苦しかった
10ヶ月間だった。
正直にこの思いを監督に伝えると監督もやる気
が出るように部内戦に賞金をつけたり、毎日の
練習に工夫を入れてくれた。そして、日本から
中央大学の川北ほのか選手を呼び、一緒に
二ヶ月ほど練習してくれた。
お互いにアドバイスし合い、ダブルスが長所の
彼女についていく事にしたら、いつもより練習
が楽しくなってきて、気づいたら日本へ帰国す
る日が来た。

全てのストレスがなくなり、改めて日本のよさ
に気づいて、鏡を見れば帰国後2週間で7キロ
太った中肉の山下が立っていた。

※大学の同期が飛行機で数時間かけ来てくれた

