海外リーグでファイヤートルネード

邱建新コーチがポルトガルリーグへ行くべきだ
と言ってくれた。嬉しすぎて飛び上がったのを
見て邱さんが笑ってたのを忘れない。
パスポートすら持ってなかったが次の日に
申請して、次の日からまた英語の勉強をした。
その前も何度かプエルトリコオープンに出ない
か?など色々誘ってくれていたがコロナが邪魔
で色々検査が厳しく渡航できなかったのだ。
邱卓球塾の生徒で僕が初めて海外リーグへ
派遣された。一年以上邱卓球塾に通って練習の
態度や試合の結果を認めてくれた事が本当に嬉
かった。というのも京都の全日本予選が自分に
とってとてもレベルが高く、東山高校のOBは
何度も対戦した事もあるし宮木先生も僕の崩
し方を知っているからとてもやりにくかった。
全日本予選は最高ベスト32と、厳しかったが
邱さんに教えてもらったその年から京都1位通過
し、流石に誰も予想してない勝ち上がりをし
て衝撃を与えた。専修大学のエース級の選手や
今まで1セットもとった事がない選手を3-0で
倒し、本戦の全日本選手権も同じく兵庫県
で何度かジュニアの時に試合した曽根選手に負
けるも十分実力発揮できた。
翌年の全日本予選も1回戦で0-2,1-6負けという
窮地に陥ったが耐え凌ぎ通過し、人生初の
国体予選も通過し、国体選手になった。 
確実に強くなっていることを証明し続けた。
練習場では、もちろん負ける時もあるが
男子の世界卓球に出ている外国選手やオリンピ
ックに出ている選手と試合して勝ったり負けた
りの試合を見せたり、世界トップ10の女子選手
に何回も連続で勝ったりした。(めっちゃ研究
して、練習試合に挑んでた。笑)
もちろん実力は相手の方が上で、集中力が切れ
たところを畳み掛けたり、大量リードを前半に
して諦めさせたり、色々実力以外で勝つことが
とても多かったので胸は張れないが。。
それでも一度きりの勝利ではなく何回も何回も
勝ちきることがポルトガルリーグに行けた原因
だと思う。
ポルトガルが人生初の海外で、まさかの
相手も英語を喋れないだと!?!?と
めちゃくちゃ驚いたのだ。(僕の知識不足)
コミュニケーションの取り方がわからなく
とてもストレスがたまったし、ボールも意味
わからない質のもので練習したり、ミーティン
グはポルトガル語で理解不能でめちゃくちゃ髪
が抜けたし、自分でめっちゃ切った。笑
あれはなんだ、リストカットみたいなもの
か‥?
最初は練習試合で環境に慣れれず、誰にも勝て
ない状況で0勝15敗とかやった。練習場内で。
そしたら翻訳機を見せられて「プロとしての
覚悟が必要。明日一回でも負けたら日本に帰れ
」と言われた。あの時の心臓がドキン!!って
なった感覚が今でも忘られへん。
帰りたくないよ、大学では史上初の海外リーガ
ーで親も大喜びで送り出してくれて、
邱卓球塾からは自信持って戦えって
送り出してもらったのに。

そして、朝1でちょっと乱打してからすぐ試合
させられた。相手は東京オリンピック🇦🇷代表の
ガストン オルト選手。その時は世界ランク1
20位やったな。めちゃくちゃ強い。
でも火事場の馬鹿力っていう言葉が日本では
あるようだな、使わせてもらうで。
今まで入ったことがないバックストレートや
ファアハンドカウンターが炸裂し、たしか
3-2,14-12で勝った。なんやったんやろあれ。
泣いたもんな、練習試合勝って泣くやつおらん
やろおもてたら、俺やん。泣いてるやん俺。
その後放心状態で、1時間経った頃に食堂いっ
て、誰もおらん空間の中ご飯食べた。試合内容
思い出そうとしても思い出されへんかった。
そして、午後の練習いったら
「はい、もう1試合ね。」
ふざけんなこっちは心臓半分切り落として
今ここに立ってるねんぞ、日本行きの飛行機に
片足突っ込んでたわ。
流石に2試合連続、あの俺のファイヤートルネー
ドみたいなバックストレート打てへんぞ。と
相手はチリのAlfonso Olave。世界ランク150位
くらいやったなその時は。
もちろん前日の練習試合では0ー3負け。
相手ブロックうますぎて何もできんかった。
やけど今回は使ってなかった巻き込みサーブに
変えて、3球目皇帝ペンギン7号のような
フォアハンドを連発してまさかの3-2,11-8で
勝利。監督たちよりも僕が驚いてた。
しかも最後のボールも僕がレシーブチキータし
て、相手が回り込んでカウンターしてきたやつ
を僕が回り込んで相手のフォアサイドへ叩き
こんだ。俺そんなんやったことないやん、
できるんやったら言うといて欲しい。
流石に監督たちに言われた、英語できひんかっ
た僕ですら聞き取れた、「Good Job」
その日寝られへんかったな。
筋肉痛で。


