歩くことが出来なくなった日

股関節の奇形に加えて激しい練習と少し自分に

合わない打ち方によって激しい痛みが1年以上

続き、痛みが出てすぐ、どの病院に行っても

うちでは分からない、と9件タライ回しにされて

股関節に詳しいAs ONEコンディショニングルー

ムという川西市の整骨院に通院した。

すると元々の生まれもった形とトレーニングの

高負荷、やり方が良くなくて大変なことになっ

ているとの事だった。

家に帰って、泣いて「卓球できひんくなる」っ

て親に訴えた。左足を引きずって歩く日々が続

き、毎日ロキソニン飲みながら日常生活をし、

As ONEでリハビリ➕トレーニングをさせても

らい、それから1年半後逆にめちゃくちゃ良い体

になった。笑

リハビリ中は食事の栄養についての

本を買って勉強してどうすれば最高に仕上がっ

た体で復帰できるだろうかと模索した。

上半身もめちゃくちゃ筋トレして、後半はサー

ブ練習も出来るようになったから心はどんどん

前を向くようになった。とにかく縦回転のわか

りづらさと巻き込みサーブのアップダウンを練

習した。

そして1年ぶりに出る関西リーグ春季大会。

試合勘はほとんど無いが、元々練習と試合の

パフォーマンスはあまり変わらないタイプなの

で、意外とすんなり試合に入れてその時の

関西チャンピオンにもすんなり勝ててしまい、

終わってみれば7試合中5試合が3-0で勝利して

シングルス7勝0敗の最優秀選手賞に選ばれた。

復帰戦にしては上手く出来すぎてる。

そして、たまたま近大から10キロ離れたところ

に邱建新というコーチが卓球場立てた。

元々水谷隼さんのプライベートコーチで、

大阪に日本一の卓球場を作りたいと意気込み、

世界中から選手が集まる卓球場が出来た。

そこにコロナ禍に練習してくれていた面田こと

み(愛工大)が僕をその卓球場へ練習相手とし

て呼んでくれた。そこから僕の人生は変わった

初日の練習相手は全日本3位の谷垣選手で上手く

ブロック出来ない事が続いたが、谷垣くんは

とても気さく(ふわふわ)な人で同じく神戸出

身なのでもうちょい優しく打ってくれと言っ

た。その日はものすごい湿気でゲーム練習で3-2

で勝ってしまい、邱さんが驚き次の日に田添響

選手の練習相手もさせてくださった。

その時も凄い湿気➕田添さんは練習をあまり

してなかったので4-2で山下は負けるも白熱

した試合をさせてくれたので、それから3年間

練習に邱さんが呼んでくれた。

股関節がたまに痛くなる日もあったけど、

とにかく必死にラリーすることだけ必死に

していたらある日、「海外リーグに出ないか」

と邱コーチが打診してくれた...続く

 

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